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2016.03.01
[interview] 京都大学 名誉教授 松岡 譲 様

[profile]

1973年京都大学工学部衛生工学科卒業。1976年京都大学工学研究科衛生工学専攻博士課程中退、京都大学工学部助手(衛生工学科水道工学講座)。1981年国立公害研究所研究員(総合解析部)、1986年京都大学工学部講師(衛生工学科水道工学講座)、1992年同助教授。1995年名古屋大学工学部教授(地圏環境工学科)、1997年同大学工学部改組に伴い、同大学大学院工学研究科教授(地圏環境工学専攻環境システム工学講座)。1998年京都大学大学院工学研究科教授(環境工学専攻環境マネジメント講座)、2002年同大学大学院地球環境学堂教授(地球益学廊環境統合評価モデル論分野)併任。2008年京都大学大学院工学研究科教授(都市環境工学専攻環境システム工学講座大気・熱環境工学分野)、2016年定年退職。

 

[インタビュー概要]

●開発したモデルへの批判に対して、論点を絞って自らメディアに説明をして理解を求めた

低炭素社会の実現には、制度と人と技術がバランスよく向上していくことが大切

まず良い事例をつくって周囲に公開し、納得してもらう流れが必要

 

Q:環境工学の道に進まれたきっかけ、そして気候変動の分野にシフトされた経緯を教えて下さい。

私は京都大学の修士課程の修了後、47年間京都大学と関わってきました。環境工学の道を歩み始めたきっかけは、家庭環境が影響しています。というのも、私の実家が町の水道屋を営んでいたこともあり、大学時代の専攻として水環境システムに関わる衛生工学を選んだことは自然な流れでした。

そして、気候変動分野に関してですが、もともとはアメリカが地球温暖化とその対策研究を1970年代から精力的に行っていました。その後、1980年代後半になってから、気候変動が世界的な課題として捉えられるようになり、日本でも何かやらなくてはという話になってきたのです。

そんな折に、国立公害研究所(現・国立環境研究所)の西岡秀三先生、森田恒幸氏からお誘いを受け、温暖化研究に取り組むようになりました。そして、西岡先生のお知り合いだった槌屋治紀さんがアメリカから持ち帰られた資料を参考にしながら研究を重ねました。そうして開発したものがAIMと呼ばれる温暖化現象の総合化モデルです。

 

Q:AIMがマスコミに大きく取り上げられる論争に発展したことがあるとお聞きしましたが、どのような背景で注目されはじめたのでしょうか。

AIMは、1997年のCOP3(国連気候変動枠組条約第3回締約国会議)のときに、日本国内での温室効果ガス排出量の削減目標が議論される中で注目され始めました。そして、環境庁がAIMモデルで試算した案を発表したのですが、通商産業省(現・経済産業省)から「非現実的な設定で、AIMは破綻している」と批判されたのです。このように当時は環境庁と通産省との対立が、新聞や業界紙などのマスコミで大きく取り上げられました。そのほかにも、国会等に多くの批判文書が撒かれるなど、AIMモデル自体が否定されることも少なくありませんでした。

そうした状況の中で、私はAIMモデルの開発者として、議論の争点とポイントをまとめ反論する必要を強く感じました。そして、環境庁で記者に対する説明を行い、どのようにしてこのモデルを政策に役立たせるのかについての理解を求めることにしたのです。具体的には粗鋼生産量、自動車の燃費向上率、電源構成及び二酸化炭素排出原単位、炭素税の効果という4つのポイントに関する可能性と、その根拠を説明しました。その結果、COP3京都会議において、日本の目標は私たちの提案に近い「90年比2010年6%減」として採択されることになりました。

 

Q:AIMは現在、国際的にも研究や政策決定に活用されるシミュレーションモデルとなっていますが、これまで松岡先生ご自身のどのような努力があったのでしょうか。

1995年頃からAIMの国際展開に向けて行動し始めました。実際には、先述した森田氏を含むチームを結成し、AIM出力の紹介と共同研究の相手を勧誘し始めることにしたのです。その頃は、まだプロジェクターや電源トランスは大きく重たかったのですが、自分たちで持参して、アジア諸国へ足を運び各国の研究者に説明をして回りました。そうした地道な活動の成果もあり、韓国・中国・インドなど海外からの研究者が、少しずつ集まってくるようになりました。

彼らは、AIMを応用し、母国の温暖化対策に活かす一心で、懸命に取り組んでいました。その当時共同研究をしていた研究者の中には現在、環境政策に関わる省庁の責任者やIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の首脳として第一線で活躍している方もおられます。

Q:たくさんの研究活動に取り組んでこられた松岡先生ですが、地域の低炭素化に本格的に取り組み始めたプロジェクトは何ですか。

私たちは2004年から国や地域の低炭素化に関する研究を本格的に始めました。日本低炭素社会研究プロジェクトです。そこで私は将来の日本の低炭素シナリオを担当していたのですが、とてもフラストレーションを感じました。要因は幾つかあるのですが、まずプロジェクトチームの人員が、多すぎると感じていました。60人ものメンバーがいると、シナリオへのアプローチに対する各人の解釈や受け止め方に差が生じ議論が大変混乱しました。例えば「将来ビジョンの策定をしよう、その定量化についてはこうしよう」と提案しても、そのこと自体をメンバー全員が理解するだけで最初の3年も費やしてしまったのです。

それに加えて、プロジェクトが研究者のみの活動であったこと、そして研究対象も国レベルの内容だったこともあり、具体的な政策策定との距離があることも感じていました。このように、大きなことを多様なメンバーで協働しながら成し遂げようとすることは、そう簡単なものではないと改めて感じました。

そうした状況の中でも、ご活躍されていた一人が榎原さんです。例えば、安倍総理の”美しい星50″は、このプロジェクトで榎原さんの成果があったからこそカタチになったものですし、大変良い仕事をされたと思っています。

 

Q: 低炭素社会を実現するための課題は何であると考えておられますか。

日本で2050年に80%削減という数字はある程度決まっているので、それをスムーズに実現するには、制度と人と技術の3つ全てをバランスよく向上していくことが重要であると考えています。制度だけ作ってもやる人が居なければ意味はないですし、良い技術を開発してもそれを使ってもらえるようにある程度の強制力を持たせないと意味がありません。それら3つのどれが欠けても意味がないのです。

だからこそ、上からの強制力と、なおかつ受ける人たちが「やってもいいよ」と思ってもらえるような柔軟性の両方を持ち合わせた制度の中身、人々に受け入れられる説明の仕方などが、低炭素社会づくりの大きな課題ではないでしょうか。そのためにも、まず良い事例をつくって周囲に公開し、納得してもらう流れが必要であると思います。

 

*AIMについて
Asian-Pacific Integrated Model(アジア太平洋地域温暖化統合評価モデル)の略称。経済・エネルギー・土地利用・気象・陸域生態系・海洋などの多分野に及ぶ広範囲な現象から、政策課題や国際機関の要請に応じて要素を抽出し、その関係性を評価するための計算シミュレーションモデルである。排出・気候・影響という3つのモデル群から構成され、気候変動に伴う諸々の変化の推計が可能となった。国内の削減目標の策定のみならず、UNEPの地球環境アウトルックの作成やIPCCの統合評価報告書に向けた温暖化の将来見通し作業に活用されるなど、国際的に評価されている。

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(インターン生の感想)
松岡先生は、強い信念を持っておられる方であると感じました。というのも、40年以上もの間、世間からの批判や困難な状況にも屈せずに、真摯に研究活動に向き合うことは並大抵のことではないはずだからです。また、ご自身では「信念はとくに持っていない」とご謙遜されていましたが、実際にはインタビューを通して、目標を達成するために出来ることを全て徹底して取り組むという姿勢を貫かれてきたことを感じました。このような謙虚で魅力的な松岡先生の人間性も、多様な仲間とともにAIM開発をはじめとする数々の研究成果の要因のひとつであると思いました。

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